【R指定とDOTAMAと呂布カルマ】ラップバトルで向き合ったそれぞれの矛盾点

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R指定とDOTAMAと言うラッパーは一時期ライバルのように言われ(現在も世間から見たライバル関係は継続しているが双方がフリースタイルダンジョンのモンスターを降板し、二人のラッパーとしての売り出し方に差異が出てきている事から今後も世間が言うライバルのような関係が継続するかは分からない)互いにラップバトルを4回交わしスキルを磨いてきたが、この二人のラッパーはバトルをすればするほどつまらないラッパーになっていった印象は拭えない。

何故なら二人とも他人から指摘された欠点は治すタイプであり、全体的なスキルは上がったが予防線をはるようなつまらないラップになってきたと言う印象は拭えないとあくまで私個人は思う。



話を二人から変えると呂布カルマと言うラッパーはラップ中に敢えて韻を頻繁には踏まずに(勿論対戦相手から見れば敢えて韻を頻繁に踏まないのではなく″踏めない″とディスる事もできる)、芸大卒でありながら前職は塾長、芸大卒でありながらパッと見ギャングスターのような出で立ちとツッコミどころが多い。
先に書いたR指定とラップバトルで戦った際には自分はグラサンをしながら、R指定に髭で内面を隠していると言い放ち見事にその矛盾点をR指定に指摘されていた。
バトルは圧倒的に強い呂布カルマだがブーメランのようなフレーズを口にすることも多く、R指定から言わせれば″矛盾点ばかりだぞ馬鹿″。
しかし呂布カルマのスゴい所は敢えてその矛盾点に予防線をあまり貼らない所だ。
それでいて未だにバトルが強い。
人には矛盾点を指摘したいと言う願望がある。
プライベートではそんな願望に一々答えてはいられないが、ラップバトルはショーだ。
そういう意味では呂布カルマは視聴者の期待に応えている。



敢えて矛盾点にあまり予防線を貼らずそのままにしている呂布カルマ
高校生からラップを始めその早咲きの才能から強いラッパーとして求められてきたR指定と、芸大卒業後紆余曲折あってラップにたどり着いた呂布カルマとでは、求められてきたものが違うので一概にどちらが正しいとは言えないのだが、2016年にR指定とが戦った際にはR指定はDOTAMAに「もう言うことが無いからやりたくない(笑)」と語った。
矛盾点をつぶしていくスタイルの二人だから敢えてもうラップで語る事がないのだ。

それにDOTAMAに4勝2敗で勝ち越しているR指定には既にDOTAMAが自分に何を言うのかが大抵は予測がつくのだろう。
予防線を張り合ってもう何を語っても対して進歩のない二人のバトル。

ラップバトルとは少し違うが日常生活で腹が立っても敢えては言わない人はいるだろう。
私も相手に言っても変わらないと思うときはそうする。
自分が何故腹を立てたかは考えるが、変わらないであろう相手とはわざわざ話をしたくはない。
DOTAMAとR指定R指定が語る上ではリアルでは全く交流がなく、だからお互いにライバル意識はあってもあまり好きではないのかもしれないが、 好きでもないし言っても変わらない人間にはもう面と向かって話さなくなる。



R指定とDOTAMAと呂布カルマはスタイルは違えど上げ足取りを好むが最後に三人をラップバトル中以外の要素で語りたいと思う。

R指定はキャラ作りの一貫なのかは知らないが、たりないふたりという曲で影キャラとしての心情を語った。
Dotamaはライムスター宇多丸の水曜The NIGHTに出演した際驚く程喋らなかった。
二人とも現在は独身。
一方呂布カルマには結婚して奥さんも子供もいる。

矛盾点だらけの人間の方が親しみやすい?
いやそんな事はないだろうが矛盾点に予防線をはる人間より、自分の矛盾点を敢えて生き方として崩さず予防線を控えめにする人間の方がプライベートは充実するのかもしれない。

 

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″終始大物気取り″のZeebraは″ガキだまくらかすクソエリート″

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敢えて言うがラッパーのZebraと言うのは、本当にしょうものない男だ。
自分より売れた後輩(Dragon Ash)をディスで潰し、高校生ラップ選手権を主催して将来が見えない若者(MC ニガリa.k.a赤い稲妻)を育て、またしても売れた後輩(KREVA)をディスして売名と牽制を行う。
食えないラップ業界で絶えず大御所気取りを通す事で、食いつないできた自覚のない詐欺師。

″終始大物気取り″とZeebraは″まるで物真似歌合戦″のようだと批判したDragon AshのKJに言った。
KJのモノマネは一流だ、ちゃんと本人に的確にZeebraのイメージを伝えている。
ZebraからしたらKJはフェイク野郎か、批判する時によく使うセルアウトか?
セルアウト出来ずに敢えてセルアウトしないような姿勢を徹底し、フリースタイルダンジョンがやっと″セルアウト″して嬉しくて堪らないフェイク野郎が私から言わせればZeebraだ。

Dragon Ashがフェイク野郎だろうと、Dragon Ashが″騙した″としたらファンと視聴者だけだ。
喰えないから、子供の夢にすがるなんて詐欺師の中でも低俗な奴がやることだ。
しかし視野が狭いからと言って騙される方も悪い。

後輩と組んで″ガキだまくらかすクソエリート″とKREVAディスるZeebra
親のこねで入学した慶應義塾普通部を中退したZeebraKREVA慶應義塾大学 環境情報学部卒業。
″ガキだまくらかすクソエリート″としてはフェイク野郎だな。
″この先は通さねぇぜフェイク野郎″とキングギドラ公開処刑されるぞ。
キングギドラの時からそう、誰かと組んで相手を矢面に立たせて相手を disrespect。
後輩のozrosaurusと組んでozrosaurus主体の楽曲でKREVAをディスするZeebra
まるでZeebraの″終始大物気取り″の為に今の日本のラップ業界の一部は存在しているように見える。

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【ウルトラセブン】海底人ノンマルトに見る自国を正当化しようとする人の心。

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海底人ノンマルトと言うのはウルトラセブンに登場する人類より先に地球に誕生した先住人種を名乗る集団で、本人達は人類により海底に追いやられたと主張している。
海底にまで手を伸ばした人類に対して彼等は人類に宣戦布告をするしかなく、しかしウルトラセブンの人力により彼等は破れ去る。
しかしストーリーのラストでウルトラセブンの星では地球人の事を″ノンマルト″と呼んでいる事が分かる。
ノンマルトの主張を覆すような情報は物語の中では見つからず、第三者の眼から見たら人類は限りなくグレーだろう。
しかし我々人類の為に作られたウルトラセブンと言う特撮は、嫌がおうにも人類が先住人種である証拠を見つけさせようとする。

ウルトラマンと言われる超人が一体どのような価値観で宇宙の平和を自治しているのか長く謎だったが、近年ウルトラマンは我々人類によく似た惑星人をルーツにもつ知的生命体である事が分かっている。
つまりウルトラマンが人類に肩入れするのは、人類が自分達と近い存在であるからで、彼の敵である怪獣や異性人は皆ウルトラマンとは姿形が似てはいない。
確かに惑星侵略は許されない暴挙であるが、見方によってはウルトラマンは人種差別的な価値観で人類に肩入れしているとも見れなくはない。
ウルトラセブンは作品の中でも常に難しい選択を迫られたが、視聴者である地球人の意見を代弁するかのように常に人類の側についた。
人類の杜撰な捜査により破壊兵器の実験場として選ばれた星の被害者であるギエロン星獣に対してもやはりセブンは命を奪った。



ウルトラセブンの続編であるウルトラセブン1999最終章6部作の最終エピソード「わたしは地球人」ではノンマルトの主張を決定づける事実を人類が隠していた事が判明する(この展開は、現在でも賛否両論に分かれている) 。
それが縁で人類に対して攻撃を開始したノンマルトの生き残りに対して、やはりウルトラセブンは人類側につくのだが、ウルトラセブンの今回の行動を受け入れる惑星は地球以外にどこにもおらずセブンは幽閉されてしまう(今回は明らかに惑星社会はセブンは侵略者である地球人側についたと言う見方をした)。
そしてその守られた地球人は人類が隠していた真実″オメガファイル″を惑星社会に公表し、反省の意思を認められ一人難を逃れている。

実際侵略者である人類が居座り、ノンマルトは滅ぼされているのに結果的に惑星社会は″反省の意思″程度で地球人を許してしまっている。
他の良識をひけらかす惑星人に関しても後ろ暗い過去があるのではないかと邪推してしまう。
まるで自分たちだって今までおかしな価値観で動いていたのに新参者を激しく良識人のように非難した列強のように。



ウルトラマンの世界は既にアメリカに守られている日本のような図式で物語が始まっている為、人類が他の惑星人といさかいを起こし大規模な惑星間の戦争になるような事はないのだろうが、仮にウルトラマンの力が惑星社会で弱体化してしまったら、地球人がどのような手段に出るかは分からない。
ウルトラマンと言う後ろ楯がなくなれば人類は惑星の侵略の危機を強く意識せざるをえないだろう。
そして顔色を伺うべき相手(ウルトラマン)の権力は弱体化している。
ノンマルトの主張が決定的に作中で示唆されても、やはり人間は自分がついた方の立場に肩入れしてしまう。

実はEVOLUTION三部作に登場するアカシックレコードの記述、そして前述の最終章のノンマルトの一部の言動から本当に彼らが地球の先住民かどうかは怪しいと推測するファンもいる。(ノンマルトと現人類がとって代わられることはアカシックレコードに記されていない) 
ピクシブ百科事典 ‐ノンマルトとは‐



肝心の″ノンマルトの一部の言動″について、明らかにしてほしいのだがネット上にはそれに関して言及している記事はない。
侵略と言う過度のストレスにより侵略の歴史が去ったあとに歴史をねじ曲げてしまうケースも私はないとは思えないので、ノンマルトが侵略のストレスにより一部の歴史を隠蔽している可能性も考えられる。

国が国を侵略しなくては多国が漁夫の利を狙っているような異常な価値観のもと、侵略しなくては侵略されてしまうような歴史も私達にはあった。
あの国を私達が侵略しなければ、あの人達は本当に幸せになれたのか。
他の国に侵略されていただけではないのか。
しかしそれは勝手な理屈である、しかし人間は自分の都合の良い勢力の正当性をいつも見つけようとしてしまう。
創作ではあるが、本当に当時ノンマルトと人類しか知的生命体は居なかったのか。
ノンマルトは本当に綺麗な被害者なのか。
当事者である人類はホモ・サピエンスの正統性を探ってしまう。
しかし被害者であるとされるノンマルトもノンマルトで、全て事実を言っているのかわからないのもまた事実だ。

ガリガリガリクソンに見る地に足のついていない生活の典型例

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例えば子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことからキラー・クラウン(殺人道化・殺人ピエロ)の異名を持つ殺人鬼であるジョン・ウェイン・ゲイシーは表では慈善家の資産家を装いながら、彼の家全体を覆う異様な臭気は一目で警察官に異常性を認識させた。

例えば三菱製鋼子会社の元総務担当部長・山本英成容疑者(45歳)はキャバクラで豪遊し会社の金を三億円使いこんで後に横領の罪で逮捕された。
地に足がついていない生活でもお金があれば維持できる。

芸人のガリガリガリクソンは学生時代に壮絶なイジメを受けていたとされるが、悪質な交通事故を起こしてからは醜聞がいたる所から出てきた。
確かに社会は落ちた犬を棒でつつくが、いくらメジャーになりきらなかった芸人とは言っても誰一人庇う人間が現れないのは不思議である。



週刊誌ではガリガリガリクソンは周囲への悪態を隠さず、暴飲暴食を重ね自重せず酒を飲み明し、後輩に対するイジメはひどく、注意した先輩を逆に敵視したのだと言う。
ネタをパクったと同じ芸人であるエハラマサヒロに対して噛みついた事件でさえユウチュウブでは

ガリクソンっていじめられっ子で可哀想とかイメージしてたけど。
色々聞くと、ガチのクズだからなぁ……そら嫌われるわ。
エハラとの祇園笑者での直接対決は酷かった、昔はガリクソン被害者みたいに書かれてたけど、全部ウソだったという。本人目の前にいるから今度は嘘付けなくて、ただ大声出して誤魔化すだけ。″

と証言する不確かな情報がコメントされる始末だ。
私がこの情報をある程度信じるのは″エハラマサヒロガリガリガリクソンのネタをパクった″この事件に対してガリガリガリクソンの言い分のソースだけを記事にした判子絵の記事は出てきても、エハラマサヒロは何を言っているかがガリクソンが事件を起こすまでほとんど出てこなかったからだ。
ガリガリガリクソンは実はネットで人気の高い芸人で、エハラマサヒロは実はネットで嫌われている芸人(小規模なキングコング西野のような嫌われ方をしている)。

実際よくある話だネットは広大だが好奇心は被る。
″ネットの人気者ガリガリガリクソンは嘘つきだった″より当時は″ネットの嫌われ者エハラマサヒロガリガリガリクソンのネタをパクる″の方が人は検索したがる題材だったのだ。
だから結果的にエハラマサヒロの言い分について今まであまり取り上げられなかったと言うのは考えられない話ではない。
しかし真偽はあくまで分からない。



楽しんごも昔いじめられたと語ったし、ラッパーのジョーも昔いじめられたと語った。
ガリガリガリクソンもそうだ。
しかし彼等を見たネットの人々には一言あるようだ。
弱いからいじめられる、あるいは性格が悪いから性格が悪い第三者にいじめられる。
これは一つの真実だ。

ガリガリガリクソンについて、稼いでないと言う情報もあれば、消費者金融にさえ見捨てられた後輩に違法な金利でお金を一千万円以上貸したと言う情報もある(これに関しては裁判が起きているのでほとんど本当)。
謎の社長人脈があり、潤っていたともされる。

元いじめられっ子でありながら芸人として出したラーメン屋ではバイトを異常な給料でこき使い、店舗を崩壊させた昔弱い立場だった体験を後に生かさない自分勝手な性格。
テレビの企画で飲食店でバイトした際はあまりの手際の悪さに発達障害を疑われた。
しかし彼は芸人になる前はラーメン屋の店主として50万円の給料を受け取っており、とてもあの手際では店長として成り立つとは思えないが、ツイッターを見る限り料理はプロ級。
その不安定さが社長達からは恐らく可愛がられたのだろう。

そしてああいう人間が本音を隠すと何を考えているのか分からない不気味な人になる。
ツイッターの誰かが逮捕後のガリガリガリクソンを見て怒られなれている顔だと呟いた。
ガリクソンは存分に自分を解き放ち、故に怒られて怒られ慣れた。
怒られ慣れるなんて、馬鹿にしていると思われるかもしれないが、怒られ慣れてないから相手を怒らせる事はあるが、怒られ慣れている人間は全力で相手の言い分を聞き必要最小限の差異で話を終わらせようとする。
要件は短い方が良いのだ。

ガリガリガリクソンは既に30歳を超え今さら変わる人格があるでなし、欠点を埋めずに長所を伸ばす方向に自分を定めたのだ。
ジョン・ウェイン・ゲイシーや山本英成容疑者だってそうだ、仮に人を殺さなければジョン・ウェイン・ゲイシーは政治家まで登り詰めたかもしれない男だし、山本英成容疑者だってエリートがお金を散財するのはよくある事で、ストレスで途中でダウンして職を失うより散財して最後まで駒を進めた方が良い事もある。
何が言いたいかと言うと結局普通が一番良いと言うことだ。

【地頭×知的好奇心=推理力】カズレーザーの頭の良さの正体。

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メイプル超合金のカズレーザと言う芸人は同志社大学卒業であり確かに高学歴だ。
しかし彼のクイズの正解率は東京大学堀江貴文を悔しがらせ、京都大学の宇治原に「カズレーザーに(クイズの)年間成績で負けた場合は「『Qさま!!』を引退する」とまで宣言させた。
格上の学歴に意識される彼の頭の良さの正体は一体どこにあるのか?
その答えは彼の二面性にあると私は思う。

勿論二面性だけあってもダメだ。しかし彼には関関同立に合格できるだけの座学の基礎がある。
そして一番人目を惹くのは彼の二面性はどちらも嘘偽りではないと言う事だ。
カズレーザはいわゆるどのようなタイプとも楽しくお喋りができる。
いわゆるオタクやDQN共だ。
普通の人ならどちらかと話している時は無理をしている可能性が高いが、カズレーザはどちらも恐らく本当の顔だ。
二面性のある人格がどちらも嘘ではなく一人の人間として成立している。
こう言う事は私は珍らしいと思う。

勿論デメリットもある、カズレーザは国立大学を目指していたが合格に至っていないが、恐らくは二面性のある性格のせいだ。
完全に私の偏見だがマーチ・関関同立を偏差値で抜け出すには地頭の良さ以上に絶対に受かるべきであると言う激しい思い込みが必要になる。
多様な価値観と言えば聞こえは良いが、DQNともオタクとも恐らくは仲良くできるカズレーザの二面性。
関関同立を抜け出すには気が散ったのだろう。

それに加えてカズレーザは銀行の内定を蹴って、芸人になった男。
学歴にだけ気を向けるには自分の中にファンタジーが多すぎる。
しかし彼の二面性は学歴をとる際には多少のデメリットになってもクイズの世界では強かった。



タレントの伊集院光もクイズタレントのような見方をされるが、彼は製薬会社の父親から産まれた頭の良い家の息子ではあっても最後に通った高校も高学歴とは全く言えないような高校しか入学できてはいない。
彼は抜群の雑食な知識と人間の裏を見る推理力で正解を導き出すがそれは座学の基礎が出来てはいない人間。
高学歴には正解率で追い付けない。

クイズの推理力についてはカズレーザは完全に伊集院光の上位交換だ。
彼は座学の頭の良さも、DQN的な運動神経に関係する頭の良さも持ち合わせており、加えてあらゆる人間と下記寝なく人間関係を築ける。
彼の頭の中には様々な知識が溢れていて、溢れていても瞬時に思い出せないのでは意味がない。
しかしDQN的な運動神経はまるでスポーツのように適切な場所で知識を瞬時に引き出す。

分からない問題に対しては伊集院が知識×疑り深さ×想像力で対処するのに対して、カズレーザーは自分の中にいるDQNとオタクが瞬時に話し合いを始める。
完全に偏見だが世の中には突き詰めるとオタクとDQNしかいない。
彼等が話し合えばほとんどの問題に恐らく予測はつく。
知識と言うのは適切に結び付けばまるで答えが見えるのが当たり前のようにあっという間に正解にたどり着くんだ。

ZEEBRAとKJに見る額面通りではないディスの様々な側面

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ZEEBRAは自分より売れた後輩のDragon AshのKJを公開処刑の音源で潰した。
KJの方が才能があったから売れたのか、KJはセルアウト(自分の楽曲を商業的に売り出すこと)だから売れて当然だったのか、ではZEEBRAは敢えてセルアウトしないのか、セルアウト出来なかったのか。
ZEEBRAキングギドラ公開処刑の音源を出した過程には両者の色々な言い分があり、どちらが正しいとは一概には言えない。
しかしZEEBRAは今やテレビに出演しアメーバTVでフリースタイルダンジョンを企画して元気にやっている。
″まるでモノマネ歌合戦″はどちらだ。
仮にZEEBRAがKJの才能に嫉妬したならモノマネ芸人に自分より先に夢に到達されては格好がつかない。

公開処刑で共ににディスされたKICK THE CAN CREWKREVAは一線で過去ほどの勢いはなくても未だにファンを魅了している。
話は変わるが元祖ユウチュウバーと言われながら勢いをなくしたメグウィンは一時期ユウチュウバーの学校を作りたいと言っていた。
現役で活躍できないなら大物ポジションで居座るしかない。
KREVAは才能があるから一線にいるままだ。
KJは指摘されてから、路線を変更した。
ヒップホップの世界でのディスは妬み嫉み同族嫌悪で満ちているから額面通りに受け取ってはいけない。



余談だが過去にZEEBRAをディスていた般若とZEEBRAは今じゃ親しい間柄だ。
ディスは愛情表現、ディスは妬み嫉妬・同族嫌悪の延長戦。
あるいは本当はお前みたいになりたいと言う隠れメッセージ。
少なからずの正しい指摘。
公開処刑の後、ZEEBRAはKJに対して自分で突き放しておきながら距離をつめるような面倒臭い発言をするのだが、それもディスの持つ面倒臭さである。

2008年、ZEEBRAが20周年を迎え、武道館で大規模LIVEを行う。さらに、ZEEBRAの歴史を振り返った書籍「ZEEBRA 自伝 HIP HOP LOVE」が発売される。この自伝には、「公開処刑の真相」も明らかにされており、Kjに対する思いが書かれている。その一部内容について見てみると、公開処刑後に出したDragon Ashの曲は、オリジナリティーがあって良いなどと述べており、もう既に、わだかまりはないとのこと。20周年を節目に、和解したいと語っていた。ただし、和解に対しては、Kj次第でもあるので、難しいようだ。ZEEBRAによれば、2002年から6年間以上、Kjと会ってもいないし、連絡もしてないらしい。一方、Kjも雑誌のインタビューで「Grateful Days」について、久々に語った。「正直やんなきゃよかった」というコメントをしている。今後、Kjが「Grateful Days」をLIVEなどで歌う可能性は極めて低いのだろう。
キングギドラ【ZEEBRA】がDragon Ash【KJ】に一方的なDISった件


ディスって置きながらそれが縁で引き下がられるのも嫌。
仲良くしたいのか、嫌いなのか、指摘したいのか、嫉妬なのか、潰したいのか、ラップ業界は男社会なのでそういう面倒臭さがある。

少なからずそういうのが嫌で離れた人たちもいるだろう。
セルアウトした人間もいるだろう。
それが自分が都合の良い時だけ名前を出して自分の縁に戻そうとする。
アンダーグラウンドに近いラップってそんな感じで、閉鎖的な田舎のような独特の腐った感性がある。

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【感想】嫌われる勇気は巧妙に偽造した引き寄せの法則の上位交換

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嫌われる勇気を読んでいるがこれは、巧妙に偽装された引き寄せの法則だった。
しかし散々擦られた引き寄せの法則が今さらこれだけのヒットを達成するはずがない。
この嫌われる勇気には引き寄せの法則を越えたある仕掛けが施されている。
今から3つ嫌われる勇気に仕掛けられた他の自己啓発本にはあまり見られない仕掛けについて書いていきたいと思う

その①嫌われる勇気は結果を″自ら選んだ″と言う言い方をする。

引き寄せの法則は″すでに叶っている″ように振る舞うと願いは叶うと言う。
しかし叶っていないのに叶ったように振る舞っていてはより自分に嘘をついているのが明白でリアリティがない。
そこで嫌われる勇気は結果を″自ら選んだ″と言う言い方をする。
自ら選ぶ以上結果は自分にとって、好ましいものでなくてはならず、そうすると人は良い結果を自然と考えるようになる。



その②読者の疑問を消す会話形式での洗脳

嫌われる勇気に登場する哲人は大変偏屈な男で、結果を″自ら選んだ″と言い張って譲らない絶対に親にはしたくはない人物だ。
そして先程から結果・結果と言っているが、いつを結果にするべきかと言う話にもなる。
嫌われる勇気で大切なのは以下に哲人の結果を″自ら選んだ″と言い張る姿勢を自らの考えにインプットするかと言う事で、″自ら選んだ?そんなの絶対におかしいだろう″と言う考えは″僕が考えた最強の哲学否定マン″こといかにも″嫌われる勇気″なんかに手をだしてしまいそうな神経質な男が徹底的に論破されており、その負けっぷりはぜひ嫌われる勇気を手にとって確認して欲しい。
とにかく嫌われる勇気は、哲人と読者の分身の会話形式で話をすすめる事で、より読者の考えを作中の主人公にあわせ疑問を持つタイミングや論破されるタイミングをコントロールされている。
だから普通の自己啓発本より悪い意味で洗脳されやすい。

そして洗脳される事が本書嫌われる勇気では大切なのだ。
結果は自分から選んでいる。
自分から選んでいるならネガティブな結果は拒否する、或いはネガティブな結果は見ないようにする。
すると、どうなるか?
少なくとも表向きの人間関係は良くなると思う。
好かれていると言う結果をイメージしたとして、それはよっぽど相手が″嫌い″と言う事実を完全にわかるまで示してこない以上、勘違いは可能になる。
今はたまたま機嫌が悪いのかな?とかそういう風にだ。
そういう勘違いが続けば自信がついてくる、自信がつけば顔つきが変わってくる。
それは芸能人を見ていればよく分かる、売れれば顔つきが変わってくる。
結果的にその良い顔つきに満ちた自信を相手は信じるようになり人間関係が上手くいきはじめる。



その③嫌われる勇気と言う嫌われ者を主題に置いた題名

嫌われる勇気がすごい所は、まず″嫌われる勇気″と言うネガティブな人間がいかにも手にとりそうなネーミングにしておきながら、敢えて会話形式をとりネガティブ人間を主人公と同化させ、その疑問を次から次へと論破して潰していく所だ。
結果を″自ら選んだ″。
しかし結果なんてどこを結果にするかなんて難しい所だ。
はじめは駄目でも後で上手く行く事なんて沢山ある。
今はネガティブな結果だが、最終的な結果には到達してはいない。
そう考えれば結果は後に後に追いやることが可能であり、そしてそう考える事に何かデメリットがあるかと言えば特に何もない。

そもそも三谷幸喜古畑任三郎の言葉にあるように「自分が人に嫌われてんじゃないかって心配している皆さん、安心してください。
そういう場合は大抵本当に嫌われています。
問題なのは自分が人に嫌われているのが分かってない人の方で…」 。
世の中なんてどちらにしろネガティブな結果になるならポジティブな勘違いをしていた方がいいのだ。
ポジティブな人間にはポジティブな人間に相応しいポジションを与えたがる人はいる。
ネガティブな人間関係はその逆だ。
自分が人に嫌われているのが分かってない人でいいのだ。
考えても見てほしい自覚している嫌われ者はいつもつらいことばかり、しかし自覚していない嫌われ者は管理職になったりする。
自覚のない嫌われ者を世の中は求めているし、自覚のない嫌われ者のほうが世の中は優しくしてくれる。