遺書に背き続けた松本人志が最後に狙う北野武の地位

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・遺書(1994年)に背きドラマ(2000年)に出演し、映画を撮り(2007年)、結婚し(2009年)体を鍛えた松本人志

 ダウンタウン松本人志という男は今や全てを手にいれたように見える。 元々は一大阪の印刷工場の工場員になるはずだった男が、 後の相方の 浜田雅功に誘われNSCに入ったことで全てが変わった。

自身の冠番組 ダウンタウンガキの使いやあらへんで(ガキ使1991年10月6日〜)では企画構成をたばね、私生活では千原Jr.(千原 浩史)やキム兄(木村 祐一)のようなイエスマンに囲まれ、吉本工業に下駄をはかせてもらい文不相応な映画まで撮らせてもらった(大日本人2007年6月2日公開)満ち足りた男には未だに新鮮味のあることなどあるのだろうか。

あるとすればきっと同じNSC1期生、 運動神経抜群で喧嘩も強いという訳ではない松本にとってずっと目の上のタンコブだった元プロボクサーのトミーズ雅(ネット上では度々この二人の因縁が指摘される)に、(自身の著書遺書1994年発売に背く結果になっても)芸人としての地位としてだけではなく肉体的にも負けない体を作りあげること。 (松本自身は体を鍛えることになったキッカケについて家族を守りたいという理由をあげているが、家族や恋人ができた時に多くのひ弱な存在の頭に浮かぶのは肉体的に優れそして嫌いなコンプレックスの存在だ。)

それによって長年自身より力関係では上だった浜田より、自分が強くなり、浜田がどんなに恐い素振りをしてもその気になれば松本がいなせるという妙なパワーバランスになっても、かつてお笑いの神様とまで言われた男は気にしなかった。 彼は些細なお笑いの目減りより、退屈な日常とコンプレックスを裏返す手段に走ったのだ。

結婚についてもそうだ(2009年に元タレントの伊原凛と結婚。)性欲も目減りし、老い先短くなった遊び人が結婚に行き着き子供を儲けるのはよくあることだ。

結婚という共同作業は満ち足りた松本人志にとって、未だにマルをつけてはいない項目にマルをつける退屈しのぎの確認作業でしかない。

 ・ビック3北野武の座を狙う松本人志

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結婚し、コンプレックスを寄せ付けない肉体を持ち、映画を撮って文化人という項目にもマルをつけた松本人志が最後に欲しいものは果たしてあるのか?

もしくは自身の欲しいものは全て手にいれてしまったのだろうか?

私は、芸人として出演を否定していたドラマ(伝説の教師2000年4月15日から6月24日まで放送)に出て、頭を丸めた際(1998年頃)の松本人志の言動は心境の変化からだと考えているが、 近代の松本人志の言動は全て、先に書いたように手にいれていないもののチェックリストを片っ端から黒く塗り潰していく確認作業だと考えている。

話は変わるがダウンタウンとしての松本人志ウッチャンナンチャン、トンネルズとあわせて第二のビック3のような扱いを受けた男だ。しかし新時代のビック3のような扱いはうけても松本人志はビック3ではない。

敢えて言うが髪を金髪に染め(2015年1月頃)映画を撮り、ワイドナショー (2013年10月15日〜)のコメンテーターを勤める彼は(事務所の思惑もあるのかもしれないが)ビートたけしを完全に意識している。

松本人志本人は、若いお父さん世代に比べて自身が老けていたことを髪を染めた理由にしているが、一般的に考えても50を越えた男が髪を染めても所ジョージのような別枠の人間じゃない限り清潔感がなくなるだけで別に若くは見られない。 松本人志が髪を染めたのはワイドナショー をはじめた後だ。 私は、やはりビートたけしを意識して髪を染めたという方が理由付けとしてシックリくると思う。

松本人志に最後の欲しいもの物があるとしたらビートたけしの存在ではないかと私は推測する。

しかし、私が気になるのは一時期松本人志に憧れ劣化松本人志(堂本剛の正直しんどい2002年10月9日〜2009年9月30日の彼は完全に松本人志をリスペクトしていた)のようになっていた堂本剛が陥っていたような、リスペクトしているからこそ溢れる不自然さだ。

ビートたけし所ジョージは髪を染めても何の違和感もなかったが、松本人志には元妻の泰葉に"金髪豚野郎"呼ばわりされた春風亭小朝のような違和感がある。 つまりはあまり似合ってはいないのだ。

全てを手にいれたかに見える松本人志は最後の野望を叶えインテリジェンスと映画監督としての確かな地位を手にいれ、いつまでたっても政界進出が噂されるような(本人はそれを恥だと語っているが)″世界の北野武 ″を手にいれる事ができるのか。

だが、自身の死に方に対してのたれ死にが一番面白いと語るような深い死生感を持ち、言ってみれば持たない事にも大きな感心を持つビートたけしと、退屈をはね除け自分が持っていないものを手にいれようと考える今の松本人志には差異が見えられる。

それを言ってしまうともともと最終学歴, 兵庫県立尼崎工業高等学校(高卒)の松本人志と、 , 明治大学工学部(現:理工学部)中退、 次兄に淑徳大学人文学部表現学科教授。 明治大学卒・東京都立大学博士課程修了の学者の北野大がいて、(余談だが北野武はずっと高学歴が芸人をやっているというギャップを出すため自身の兄が東京大学出身だと誇張していた)長兄の北野重一氏は千葉大学卒業という北野武とは文章の構成上比較してみただけで、貧困家庭出身でお笑い芸人であるということ以外ほとんど同じ要素がないのだが迷わず話を続ける。

 松本人志にはお笑い哲学はあっても、それが他の分野にも普及しているかというと北野武に比べるとあまり宜しくはない。 不謹慎だがバイク事故(2001年)を起こした千原Jr.がその後全国区の芸人になったように 北野武の真似をしてバイク事故を起こしてみるのもいいかもしれない。 だが恐らくそれもあり得ないだろう。私にはバイク事故を境に人間として更なる開花を手にいれる松本人志が想像できはしない。

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