麻原 彰晃の死刑執行が行われない理由はキリストにしない為

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麻原 彰晃(あさはら しょうこう、本名:松本 智津夫(まつもと ちづお)被告の死刑が未だに執行されないのは松本 智津夫をイエス・キリストに重ねさせない為という線が濃厚にある。
権力にとらえられその上死刑になったとなると極めてゴルゴタの丘に捕らえられたキリストに格好が似てしまい、後は信者(現アレフ(Aleph)ひかりの輪の信者)が 麻原の復活を キリスト教教義の一つキリストの復活(キリストの復活とは,キリストが死後3日目に肉体をもってよみがえり,人々と語り食事をして常の人のようにふるまい,11人の使徒に布教活動を命じ,弟子たちに希望を与えたことをさす。)になぞらえて話をでっち上げれば良い。

人間に超越者のイメージを与え後世にまで語り継ぎ信仰するのにはやはり痛みを背負ってもらうしかしょうがのない。
口だけは悟ったような事を言っただけの人間が、痛みという一番共感できるテーマを背負わずに後世まで信仰される一大宗教になるのには無理がある。
仏教の仏陀は王子の身分を捨てる事でその項目を満たし、キリスト教のキリストはゴルゴタの丘に磔になることでその項目を果たした。

オウム真理教の 松本 智津夫死刑囚はすでその項目を満たしており、 20世紀少年の友達が自分の死を偽装した上で復活し、唯一死から復活したキリストをなぞらえて神になろうとしたように、 松本 智津夫には現在神になれる資格が備わっている。

そうは言っても屋松本 智津夫は人間であり人間である以上死刑にならなくても必ず獄中で死ぬ。
その時に元信者がどのような反応を起こすかで、キリストと重ねられる稀有な運命を持った男の影響力が分かる。
流石に世界的に仏陀やキリストのような形で扱われる事は絶対になくても、一部の人間の中で今より根強く 松本 智津夫の存在が神格化する。それが危険なのだ。