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嫌われる勇気は巧妙に偽造した引き寄せの法則の上位交換

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嫌われる勇気を読んでいるがこれは、巧妙に偽装された引き寄せの法則だった。
しかし散々擦られた引き寄せの法則が今さらこれだけのヒットを達成するはずがない。
この嫌われる勇気には引き寄せの法則を越えたある仕掛けが施されている。
今から3つ嫌われる勇気に仕掛けられた他の自己啓発本にはあまり見られない仕掛けについて書いていきたいと思う

その①嫌われる勇気は結果を″自ら選んだ″と言う言い方をする。

引き寄せの法則は″すでに叶っている″ように振る舞うと願いは叶うと言う。
しかし叶っていないのに叶ったように振る舞っていてはより自分に嘘をついているのが明白でリアリティがない。
そこで嫌われる勇気は結果を″自ら選んだ″と言う言い方をする。
自ら選ぶ以上結果は自分にとって、好ましいものでなくてはならず、そうすると人は良い結果を自然と考えるようになる。



その②読者の疑問を消す会話形式での洗脳

嫌われる勇気に登場する哲人は大変偏屈な男で、結果を″自ら選んだ″と言い張って譲らない絶対に親にはしたくはない人物だ。
そして先程から結果・結果と言っているが、いつを結果にするべきかと言う話にもなる。
嫌われる勇気で大切なのは以下に哲人の結果を″自ら選んだ″と言い張る姿勢を自らの考えにインプットするかと言う事で、″自ら選んだ?そんなの絶対におかしいだろう″と言う考えは″僕が考えた最強の哲学否定マン″こといかにも″嫌われる勇気″なんかに手をだしてしまいそうな神経質な男が徹底的に論破されており、その負けっぷりはぜひ嫌われる勇気を手にとって確認して欲しい。
とにかく嫌われる勇気は、哲人と読者の分身の会話形式で話をすすめる事で、より読者の考えを作中の主人公にあわせ疑問を持つタイミングや論破されるタイミングをコントロールされている。
だから普通の自己啓発本より悪い意味で洗脳されやすい。

そして洗脳される事が本書嫌われる勇気では大切なのだ。
結果は自分から選んでいる。
自分から選んでいるならネガティブな結果は拒否する、或いはネガティブな結果は見ないようにする。
すると、どうなるか?
少なくとも表向きの人間関係は良くなると思う。
好かれていると言う結果をイメージしたとして、それはよっぽど相手が″嫌い″と言う事実を完全にわかるまで示してこない以上、勘違いは可能になる。
今はたまたま機嫌が悪いのかな?とかそういう風にだ。
そういう勘違いが続けば自信がついてくる、自信がつけば顔つきが変わってくる。
それは芸能人を見ていればよく分かる、売れれば顔つきが変わってくる。
結果的にその良い顔つきに満ちた自信を相手は信じるようになり人間関係が上手くいきはじめる。



その③嫌われる勇気と言う嫌われ者を主題に置いた題名

嫌われる勇気がすごい所は、まず″嫌われる勇気″と言うネガティブな人間がいかにも手にとりそうなネーミングにしておきながら、敢えて会話形式をとりネガティブ人間を主人公と同化させ、その疑問を次から次へと論破して潰していく所だ。
結果を″自ら選んだ″。
しかし結果なんてどこを結果にするかなんて難しい所だ。
はじめは駄目でも後で上手く行く事なんて沢山ある。
今はネガティブな結果だが、最終的な結果には到達してはいない。
そう考えれば結果は後に後に追いやることが可能であり、そしてそう考える事に何かデメリットがあるかと言えば特に何もない。

そもそも三谷幸喜古畑任三郎の言葉にあるように「自分が人に嫌われてんじゃないかって心配している皆さん、安心してください。
そういう場合は大抵本当に嫌われています。
問題なのは自分が人に嫌われているのが分かってない人の方で…」 。
世の中なんてどちらにしろネガティブな結果になるならポジティブな勘違いをしていた方がいいのだ。
ポジティブな人間にはポジティブな人間に相応しいポジションを与えたがる人はいる。
ネガティブな人間関係はその逆だ。
自分が人に嫌われているのが分かってない人でいいのだ。
考えても見てほしい自覚している嫌われ者はいつもつらいことばかり、しかし自覚していない嫌われ者は管理職になったりする。
自覚のない嫌われ者を世の中は求めているし、自覚のない嫌われ者のほうが世の中は優しくしてくれる。

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