クラスカーストから転落する人間の特徴とリア充という天上人について。

img_0_20161005234432511.jpg

人間集団の中での大義とは感情をシェアするという事だ。
感情をシェアした人間は大義を得たと思い込み活発に活動を開始する。
感情をシェアする前の人間というのは大抵の場合、自分の心を取り繕いながら少なからず隠そうとするものだ。
しかし一度大義を得たとなるとそうはいかない。

例えば人を嫌うという感情についてもそうだ。
人間集団の中で自分1人だけが(誰かを)嫌っているかもしれない場合大抵は大人しくしているのだが、しかし感情のシェアが行われるとそうはいかない。
大義を得てしまう。



話は少し変わるが例えば夏休み明けにクラスカーストから転落しているような人間というのは、大抵の場合感情をシェアされている。
今までは″攻撃は最大の防御なり″とばかりにクラスカーストの上位にしつこいぐらいに(張り付き)話しかけて、しつこいぐらいに下位を積極的に牽制して、あくまで上位に密着することで、陰口を言わせるタイミングすら見失わせていた。
これはどんなに嫌われていようと、感情のシェアが行き渡らなければ、大事には至らないという典型的な例だが、大抵密着が薄くなる夏休みの最中に綻びが出始める。
誰かが1人(彼のいない所で)不満を口にすれば今まで我慢していた分一気に感情は爆発してより一層強い大義になってしまう。

するとどうなるかというと一番悲惨な目にあう。
勿論今までいたクラスカーストー上位には居場所はなくなり、今までしつこいぐらい自分の地位を見せつけて牽制していたクラスカーストー下位からは蔑まれる。
まさに四面楚歌だ。
話は少し変わるが、一見人当たりが良いのに仕事を頻繁に変えているような人間は、少しこのタイプの疑いがある。



やはり私が言いたいのは人間は感情をシェアする事で大義を得て活発化するので、決して自分に不利益な情報はシェアさせてはいけないという事だ。
その感情をシェアさせないのが難しいのだが、シェアさえさせなければ人間は多少は大人しくしている。

文章の中程でクラスカーストーから転落する人間の特徴について書いたが、あそこで書いたように人に積極的に喋りかけるという行為は″攻撃は最大の防御なり″を地でいくコミュニケーションだ。
しかし″攻撃は最大の防御なり″という考え方はどちらかというと短期決戦型で、百発百中の人間でもない限り、″下手な鉄砲数撃てば当たる″の精神で撃ていれば必ず撃ち間違えた弾がその人の評判を傷つけてしまう可能性になることは容易に想像がつく。

私が積極的に人に話しかけるのをためらうのはこの為だ。
言うなればクラスカーストから転落するような人間は大なり小なり皆キョロ充なのだと思うが、フェイクな癖に本当のリア充より過剰な手数を撃つから荒が目立つんだ(しかし過剰に本物の癖を真似るのは偽物の特権でもある)。
無闇に広くした顔とキャラクターは維持できなくなれば大抵酷い目にあう。
みのもんただって落ち目になった時は週刊紙がこぞって彼を特集し、固定資産税を含めたあらゆる資産を維持する為の銭が払えるのかと人々の物珍しい感心の種になった。
顔が広くなれば当然凋落した時に後ろ指さす人間の数も多くなる。

私の考え方では喋る事が攻撃なら黙っている事は防御だ。
しかし職人肌の人間の中には黙っていても何故か周囲に溶け込めている人間がおり、私が考えるのはリア充の顔である″喋る″という行為と同じぐらい″黙る″という行為にも偽物がやるには覚悟が必要なリア充の技術が絡んでくる。
結局下手が黙り続けていても、徐々に評判が悪くなり(対面を維持できる時間には違いは出てくるが)下手が喋り続けた場合と同じで結末はあまり変わりはしない。
リア充は大抵の場合一度は人間関係を心理学に頼ろうとするのだが、あんなものはリア充が知らず知らずのうちにやっている雰囲気そのものであり心理学等という学問で学ぼうとしている内は絶対に身につかない。