【ウルトラセブン】海底人ノンマルトに見る自国を正当化しようとする人の心。

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海底人ノンマルトと言うのはウルトラセブンに登場する人類より先に地球に誕生した先住人種を名乗る集団で、本人達は人類により海底に追いやられたと主張している。
海底にまで手を伸ばした人類に対して彼等は人類に宣戦布告をするしかなく、しかしウルトラセブンの人力により彼等は破れ去る。
しかしストーリーのラストでウルトラセブンの星では地球人の事を″ノンマルト″と呼んでいる事が分かる。
ノンマルトの主張を覆すような情報は物語の中では見つからず、第三者の眼から見たら人類は限りなくグレーだろう。
しかし我々人類の為に作られたウルトラセブンと言う特撮は、嫌がおうにも人類が先住人種である証拠を見つけさせようとする。

ウルトラマンと言われる超人が一体どのような価値観で宇宙の平和を自治しているのか長く謎だったが、近年ウルトラマンは我々人類によく似た惑星人をルーツにもつ知的生命体である事が分かっている。
つまりウルトラマンが人類に肩入れするのは、人類が自分達と近い存在であるからで、彼の敵である怪獣や異性人は皆ウルトラマンとは姿形が似てはいない。
確かに惑星侵略は許されない暴挙であるが、見方によってはウルトラマンは人種差別的な価値観で人類に肩入れしているとも見れなくはない。
ウルトラセブンは作品の中でも常に難しい選択を迫られたが、視聴者である地球人の意見を代弁するかのように常に人類の側についた。
人類の杜撰な捜査により破壊兵器の実験場として選ばれた星の被害者であるギエロン星獣に対してもやはりセブンは命を奪った。



ウルトラセブンの続編であるウルトラセブン1999最終章6部作の最終エピソード「わたしは地球人」ではノンマルトの主張を決定づける事実を人類が隠していた事が判明する(この展開は、現在でも賛否両論に分かれている) 。
それが縁で人類に対して攻撃を開始したノンマルトの生き残りに対して、やはりウルトラセブンは人類側につくのだが、ウルトラセブンの今回の行動を受け入れる惑星は地球以外にどこにもおらずセブンは幽閉されてしまう(今回は明らかに惑星社会はセブンは侵略者である地球人側についたと言う見方をした)。
そしてその守られた地球人は人類が隠していた真実″オメガファイル″を惑星社会に公表し、反省の意思を認められ一人難を逃れている。

実際侵略者である人類が居座り、ノンマルトは滅ぼされているのに結果的に惑星社会は″反省の意思″程度で地球人を許してしまっている。
他の良識をひけらかす惑星人に関しても後ろ暗い過去があるのではないかと邪推してしまう。
まるで自分たちだって今までおかしな価値観で動いていたのに新参者を激しく良識人のように非難した列強のように。



ウルトラマンの世界は既にアメリカに守られている日本のような図式で物語が始まっている為、人類が他の惑星人といさかいを起こし大規模な惑星間の戦争になるような事はないのだろうが、仮にウルトラマンの力が惑星社会で弱体化してしまったら、地球人がどのような手段に出るかは分からない。
ウルトラマンと言う後ろ楯がなくなれば人類は惑星の侵略の危機を強く意識せざるをえないだろう。
そして顔色を伺うべき相手(ウルトラマン)の権力は弱体化している。
ノンマルトの主張が決定的に作中で示唆されても、やはり人間は自分がついた方の立場に肩入れしてしまう。

実はEVOLUTION三部作に登場するアカシックレコードの記述、そして前述の最終章のノンマルトの一部の言動から本当に彼らが地球の先住民かどうかは怪しいと推測するファンもいる。(ノンマルトと現人類がとって代わられることはアカシックレコードに記されていない) 
ピクシブ百科事典 ‐ノンマルトとは‐



肝心の″ノンマルトの一部の言動″について、明らかにしてほしいのだがネット上にはそれに関して言及している記事はない。
侵略と言う過度のストレスにより侵略の歴史が去ったあとに歴史をねじ曲げてしまうケースも私はないとは思えないので、ノンマルトが侵略のストレスにより一部の歴史を隠蔽している可能性も考えられる。

国が国を侵略しなくては多国が漁夫の利を狙っているような異常な価値観のもと、侵略しなくては侵略されてしまうような歴史も私達にはあった。
あの国を私達が侵略しなければ、あの人達は本当に幸せになれたのか。
他の国に侵略されていただけではないのか。
しかしそれは勝手な理屈である、しかし人間は自分の都合の良い勢力の正当性をいつも見つけようとしてしまう。
創作ではあるが、本当に当時ノンマルトと人類しか知的生命体は居なかったのか。
ノンマルトは本当に綺麗な被害者なのか。
当事者である人類はホモ・サピエンスの正統性を探ってしまう。
しかし被害者であるとされるノンマルトもノンマルトで、全て事実を言っているのかわからないのもまた事実だ。